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「空気化するあいさつ」


今に始まったことではなけれど、コンビニなんかの店員さんのあいさつがイケてない。機械的で心がこもっておらず、とりあえず言ってるだけ。そんな「空気」のようなあいさつが蔓延している。

当人にしてみれば、「マニュアル通りに言ってるんだから文句言われる筋合いないでしょ」といったところなのかなぁと(勝手に)想像する。


原因の1つとして、アルバイトの求人難のため人材のレベルが低下しているんだろうなとは思う。ここ数年、いろいろな店に行くたびに接客レベルの低下を感じる。茶髪とかピアスとか、明らかに身だしなみも悪いのも増えている。まあ、そういうアルバイトでも雇うしかないくらいに人が採れないのだろうけど。


ただ、ここで別の観点からの理由を1つ考えてみたい。それは、「あいさつをする理由」をきちんと伝えていないから、イイあいさつをしようとしないのではないかという仮説。

よくある接客マニュアルでは接客6大用語なんかが紹介されている。あいさつは「当然にするもの」「常識でしょ」という暗黙の前提であり、「なぜあいさつしなければならないのか」はほとんど語られていない。せいぜい「お客様を気持ちよく迎えるために必要です」くらいの抽象度でしか書かれていない(もしちゃんと書いている企業さんがあったらごめんなさい)。


みなさんが店長だとして、アルバイトに「そもそもなぜ、あいさつをしなければならないのでしょうか?」「あいさつをしなかったとしても、お金と商品さえ交換すれば売買はできるじゃないですか」と素朴に聞かれたら、どう説明するだろうか? 「あいさつは必要だからするんだよ」「お客様のためにするんだよ」と言っても納得する理由にはなっていない。

これは、「なぜ人を殺してはいけないの?」「なぜ大人になったら結婚するの?」と子供に聞かれるのに近いくらいに素朴で、そして深いテーマなんじゃないかと思う。「ダメなものはダメなんだ」とか「習慣で何となく決まってるからだ」と答えても納得してもらえないのと同じで、「あいさつをする理由」というのも一度じっくり考えてみることが必要なんじゃないかなと思う。


自分は、自分なりの理由を考え、父親の会社で説明してみたことがある。店長数名を集めた勉強会で「なぜ、お客様へのあいさつって必要なんでしょう?」と投げかけてみたところ、(そういえばそんなこと考えたことないな…)とみんな凍りついていた。で、しばし考えてもらった後、自分なりの見解を展開。彼らは「なるほど〜」と納得してくれたみたいだった。ブログで書くのはちょっと恥ずかしい(?)ので内容は秘すけれど、図解を駆使して説明に数分を要した、と言えばその深さが分かってもらえるだろうか。とにかく、「つべこべ言わずやれ」ではなくて、納得してもらった上でやってほしかったのだ。


そんな経験から、店員(に限らないけど)教育においては「理由付け」が大切だと思っている。そして、その欠如があちこちでの「空気なあいさつ」の蔓延に繋がっているのではないかと考えている。

「つべこべ言わず、やれ」から「○○だから、やれ」へ。そういうことではないかと思う。

「会社の形容詞」


「いい会社」、「ダメな会社」、「大きい会社、「小さい会社」、「雰囲気のいい会社」、「勢いのある会社」、「マーケティングの強い会社」、「ワンマン経営の会社」、「営業力のある会社」、「商品力のある会社」…

…などなど、会社を形容する言葉は無限に存在する。


僕が新卒で入ったコンサルティング会社のP社は、かつて「カッコいい大人が多い会社」と言われていたそうだ。


…とてもカッコいいと思う。「カッコいい大人が多い」と形容されること自体がね。実にカッコいい。


あ、「カッコいい」ってのは別にイケメンパラダイスってわけではなくて(笑)、生きざまがカッコいいというか、仕事ができて、遊びもできて、独自の価値観や個性、こだわりがあって…みたいなイメージかな。

(ちなみに某TACの某有名講師もかつてここにいらしたことがある。僕とは在籍時期はかぶっていないらしいが、たしかにあの人も「カッコいい大人」ですよね?)


しかし、その会社は自分が入社した直後、拡大や合併などを経て、お世辞にもそうは呼べない会社に変容してしまった。


今の会社には、P社の古き良き時代を知っている出身者が多いせいか、P社がかつて持っていた雰囲気を一部に持っているような気がしている。自分が入社する前のカッコいいP社はきっとこんな感じだったのかなあとなんとなく思っている。


かくいう僕は…どうだろうか。
カッコいい大人であろうと思いつつも、実際はいろんな点でカッコわりー。
いつになったら、カッコよくなれることやら。

「経験則からの16pt」


30人入る会議室。そこに置かれたプロジェクター。

その状況でプレゼンを行う場合、自分の経験則ではフォントサイズは16ポイントは必要だと思っている。参加者の視力や位置にもよるけど、それ以下だと見づらくなる。

だから、自分で資料を作るとき、人の資料をチェックするときには、「フォントサイズが16ポイント以上になっているか」を1つの目安にしている。

「16ポイントじゃ、文章が入りきらないよ〜」という場合は、たぶん言いたいことを詰め込みすぎている可能性がある。本来、プレゼンは「言いたいことを言う場」ではなくて「言うべきことを言う場」。「本当にそれは相手にとって必要な内容なのか」を吟味し、時には「捨てる勇気」も必要となる。


そもそも、このアプリケーションの名前ってなんだっけ? 


そう、「パワーポイント」。「を入れるはどこか」を明確にしなければならない。一本調子に文章で埋め尽くされてメリハリのないパワーポイントはパワーポイントとは呼べない。

(ちなみに、パワポでは30〜100字程度で文をまとめることが多いため、2次試験で繰り返した「100字で述べる」習慣は、今とても役に立っております)


ついでにそれで思い出したけど、人の作ったパワポを見て、それが単なる文章だけになっていた場合、僕はよく「それってワードでできるよね?」というイヤミなツッコミをする。

パワポの本質は「チャート」「図示」にある。文章では分かりにくいから図解するのだ。単なる文章だったら、それはパワポの意義を無視することになってしまう。ワードでいいよねってことになってしまう。


…ちょとパワポを作りながらあれこれ考えたので書いてみました。んでは、仕事に戻ります。

「ひとりスカッシュ」


自分が会員になっているスポーツジムにはスカッシュコートがあり、1人20分まで借りられる。今までは水泳中心で利用していたが、たまには球技をやるかと思い、コートを予約した。


ひたすら壁に打つ、跳ね返る、打つ、跳ね返る。


生まれて初めてスカッシュをやったが、コンサルタントという職業の悲しい性か、いつの間にか「仮説⇒検証」のサイクルを繰り返している自分に気づいた。

「スイングの角度をこう変えたら、狙った高さに届くのではないか」「力の入れ具合はこれくらいにすれば、きちんと届くのではないか」「この場合はこの位置に移動すれば打ち返しやすいのではないか」などなど、さまざまな仮説を考え、それを検証していく。

仕事でも仮説⇒検証はするけれど、これほどまでに短いサイクルで仮説⇒検証を繰り返したのは初めてなのではないかと思う。逆に言えば、スポーツって、仮説思考を体得するにはもってこいの方法だなあと思う。

…って、休日にまで「仮説思考」とか持ち込んでいるあたり相当病んでる気がしますが。ともかく、そのおかげで短時間でスカッシュのコツはつかみつつはある。


それでも、僕のヘタレプレーを見るに見かねたのか、外から見ていた女性が「打ち合いにご一緒しましょうか?」と言ってきてくれたので、残りの10分間くらい、彼女から基本を教わりながら2人でラリーをした。ありがとうございます。


…まあ、欲を言えば、その女性があと40歳くらい若かったら言うことなかったんですが。

すげー俊敏なオバアチャンだったヨ…。

受験知識を仕事に使ってみる


ふぅ。まだ仕事。

その合間に、作成途中の資料を晒しあげてみる。

qcd_mini
クリックで拡大

作りかけなので全然分からないと思うけれど、あるシステムに対する満足度について、「QCD」の観点から分けて評価する…みたいな内容。この資料では、さらに「通常時」の満足度と「トラブル発生時」の対応力についての満足度とを分けて評価するように提案している。ちなみに、パワポでこのページを作るのにかかった時間は15分程度。それでもまだ遅いですが。


まあ、ここで言いたいことは、こんなふうに「受験勉強で学んだ知識は、必ず仕事で役に立つ」ということです。ぜひ、今回の1次試験で学んだことを、大切に大切に持ち続けてほしいなと思うのであります。特に、数あるフレームワークの中でも、QCDって本当に便利です。



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「プロフェッショナルのマトリックス」


先日の「プロフェッショナル」の話の、ちょっと続き。

ふと思い立って、頭の中で考えたことを、マトリックスにしてみた。最近、なんでもマトリックス化するのが習慣になっております。

1つ目は「コンサルティングフィーを頂くか、頂かないか」という軸。2つ目は「クオリティの高低」という軸。これでマトリックスを作ると次のようになる。

pro

まずは、無料だがクオリティの低い「アマチュア」の仕事。イマイチな実務補習とか簡易診断がこれにあたる。いわば「コンサルティングごっこ」「診断ごっこ」。今ここにいるのなら、どうにかクオリティを上げてまずは,鯡椹悗紘要がある。

,鰐砧舛覆里縫オリティが高い仕事。簡易診断の理想型。ただし、これができるなら次は△鯡椹悗垢戮だと僕は思う。いつまでも無料じゃ食っていけいという直接的な理由もあるけれど、やはり、「お金」を頂いた以上はその期待に応えなければならないという緊張感が、プロフェッショナリズムを磨き続けるためには必要だと思うのであります。

そして、対価と引き替えに良質なアウトプットを生み出す◆もちろん、これがプロフェッショナルの世界。そして、い呂泙¬簑螻阿任垢諭△函


マトリックスの本質(の1つ)は、「ポジショニングを知ること」にある。このマトリックスを見て、「自分はどこにいるのか」を目視確認することで、次にどこを目指せばよいのかが直感的に分かる(はず)。

あなたは今、どこにいますでしょうか?

まあ、こんな偉そうに書いておいて、自分は△箸聾世だ擇譴覆い鵑任垢韻譴鼻目玉の親父



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上司のライバル


仕事術とか勉強法とか、その手の書籍がよく売れている。

別に売れ行きの正確なデータは知らないけれど、書店ではやたらとそれらを見かけるし、もちろん自分もちょくちょく買っている。

そこで、ちょっとうがった見方をしてみた。

「こういったノウハウ系の書籍が売れているのは、会社で上司がちゃんと教えてくれないからではないか?」

と。きちんと仕事や勉強を教えられる上司が減ってきたから、若手のビジネスパーソンは書籍(やセミナー)で学ぶことに走っているのではないか、と。


…まあ、実際にはどうか分からない。上司の問題という以上に、情報がネットで豊富に流通するようになり、優れたコンテンツやその情報が入手しやすくなってきたからと考えるのが自然かと思う(実際、良著の情報の多くはすぐに口コミで広がっていく)。

それに、そもそも1人の上司がすべてを教えられるとは思わない。他の人や書物からも学んで、ビジネスパーソンはバランスよく成長していく。

しかし、それにしても、「学ぶ」ということにおいて上司の存在感が薄くなってしまう「脅威」であることには変わりないと考える。よい本はどんどん読んでほしいが、「上司がアテにならないから本で勉強しています」とか「本で勉強しているから上司から得ることなんてない」なんて思われるような事態だけは避けたい。

我々「上司」のライバルは、そういった書籍たちに設定すべきかも知れない。書店に並ぶ優れた書籍に負けないレベルのコンテンツを提供したり、あるいは、本という媒体ではできないような指導を行っていくことで我々なりの存在感を打ち出していかなければならないと思う。となりの部署の課長がライバルとか、そういう狭いところにターゲットを置いている次元ではないと考える。


自分はそんな危機感を持って行動している。

今後も、可能な限り自分なりの言葉を紡ぎ、仕事を語っていく。

「役得」


今、由あって、大量の文章を書いている。

疲れたので息抜きにブログを書く…ってまた文章書いちゃってるじゃんよ。


今日は「役得」という話。

お菓子メーカーに勤めているとお菓子が割安で買えたりとか、広告代理店に勤めていると芸能人と会えるチャンスが増えたりとか、企業にはその業務内容によってさまざまな「役得」が存在する。特に中小企業は、そういった「役得」を上手に活用すべきだと思う。

自分の実家は、事業の1つとして雑貨を扱っている。社長をはじめ数人の社員が、定期的にアジア諸国に買い付けに行っている。その一方で「人を採用したいが、どうにも集まらない」という悩みを抱えている。求人広告を見ると「販売スタッフ募集」という、よくありがちな文章であり、他社との差別化が図れずに見事に埋もれてしまっている。

「それならばさ、『仕事で海外に行ける』ってことをもっとアピールしたら? 若い人たちでアジアに行きたいって人、結構多いでしょう。まあ、それだけを目的にされても困るけど、がんばり具合に応じて、バイヤーとしての成長が見込める人を連れて行くようにすれば」

という話をした。こうすればコストをかけずしてアピール度を高められるはず。スタッフ達はあたりまえのように海外に仕入れに行っているけど、実はそれは他社ではなかなか経験できないことなのだ。「がんばっている方には、海外出張による仕入れも任せます!」なんて求人広告に書いてあたら、若い人を引き寄せる要素になると思う。

もともと「ない」のならしょうがないけど、せっかく「ある」のに活用しないのはもったいない。しっかりと棚卸すれば、大なり小なり自社なりの「役得」が見つかると思うのだ。


ちなみに、同じことは個人レベルでも言えると思う。ブログを立ち上げた当初は、まさか自分の文章が、これほど人に影響を与え、人と人をつなぐ武器になるほどのものであるとは、思いよらなかった。それがどれほどの価値を持っているかなんて、思い切って出してみなければ案外分からないものなんだなと思う。


あなたが「ふつうだ」と思っているその力も、もしかしたら他の人にとって価値のあるものかも知れません。

「10円リップ」


冬の寒い日なんかに、気がつくと唇が荒れていることがある。

普段はリップクリームを持ち歩いているが、たまたま家に忘れてしまっていることもある。そういうときに、わざわざ100〜200円のリップクリームを買いなおすのもなんかもったいない。

が、唇の荒れがどうしてもがまんできないときにはやむなく購入することもある。そんなわけで、家には使い切っていないリップクリームがいくつか転がっていることになる。(消しゴムなんかもこのタイプに入る商品だと思うが)

だから思うのだけど、10円くらいで使いきりの小さなリップクリーム売ってくれないかなー、と。そうすれば、家に忘れてたときでもためらわずに買える。また、通常は人からリップクリームを借りたり貸したりするのは抵抗があるけど、使いきりであれば、そういうことを気にせずにもらったりあげたりできる。

いかがでしょうか、10円リップ。どこか、開発してくんないかな…。


◆ ◆ ◆

自分の属する某チーム、結構加入希望者が多くてたまげた。一緒にナイスなアウトプットを作っていけたらいいですね。来月の会に期待です。

「ありがとう」を言ってはいけない場面


カバーおつけしますか?

…と書店で聞かれて「結構です」と返事すると、「ありがとうございます」と言ってくる店員さんがいる。

来店客に対して「ありがとう」と言う行為だけを切り出すと別に悪いことではないのだけど、もし、レジの1つ前や後ろに並んでカバーを必要としている顧客への配慮を考えると、これはどうなんだろうかと思う。

「カバーいらない」⇒「ありがとうございます」というやりとりは、行間を読むと、「カバーをつける手間を省かせてくださってありがとうございます」ってことなわけで、言い換えると「カバーをつけるのは手間なんですよ」と暗黙のうちに来店客に周知しているということになる。だから、カバーが必要な来店客にとっては、店側に対するある種の後ろめたさを感じさせることになってしまうのではないか。

簡単に言えば、「カバーいらない」はありがたい行為で、「カバーつけて」はありがたくない行為だ、と店側が表明してしまっているということ。マトモな人間だったら誰しも望んでありがたくない行為をしたいとは思わないだろう。

以前から「ありがとう」という店員に違和感を覚えていたのだけど、そこが原因なのかなと思う。カバーつける作業くらい喜んでやってくれればいいのにね。カバーをつけるってことは本を大切にしてくれる人なのだから。そういう店だったら気持ちよく買えるかも。

…考えすぎかなあ。
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