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78分間の真実 後編


本題の前に、

TAC模試受験者の皆様:案の定、財務事例の正誤が出ております。

悪い予感が当たっちまった…。普段「単位ミスに注意しましょう」とか指導してるのに、説得力ガタ落ちじゃーん。


以下、本題。

(続き)

ボクは「時間をかければ点数がとれる」という前提にはなんとなく疑問があった。

そりゃ「5分」と「5時間」みたいに極端に差があれば、5時間考えたほうがよいアイディアは浮かぶとは思う。けれど、演習中に「20分」考えることと「18分」考えることに差は出てくるのだろうか。

そんなギモンがなんとなくあったのだ。それで、数分余っても解答欄が埋まっているとなんとなく満足してしまい、演習ということで緊張感のなさも手伝って、残り数分ボケーッとしていることが多かった。もちろん、全部完璧にできて余裕だからのボケーッとは全然違う。むしろあきらめのボケーッである。

でも、最近「やはり1分でも長く考えるべき」だと思わされたできごとがあった。ある演習で、ダメモトで1分粘って考えてみたら、いいアイディアが閃いたのだ。やっぱり、

anzai
「あきらめたら、そこで試合終了だよ」

なのかなあと思ってみたり。

でもその一方で、以前読んだ本で、人は「時間にゆとりがあるほうがよいアイディアが出るタイプ」と「追いつめられたほうがよいアイディアが出るタイプ」とがいるみたいな説があった。だから、もしかしたら「時間のゆとりのあるうちに考えたほうがよい解答が書ける」というタイプもいるのかもしれない。

「ryongaのことだからまた何かヘンチクリンなこと書いてくれるに違いない」と期待した皆さん(笑)、ごめんなさい。今回は答えが出ないです。人間の脳って、深いっす。

78分間の真実 前編


ある事例演習が78分間で解答できたとする。これは、

「2分早く終わった」

と考えるのではなく

「あと2分考えることができた」

と捉えるべきである。

…というのが診断士試験の通説(?)となっている。

ボクがお会いした合格者の方(「80分間の真実」にも再現答案を載せている方だが)も「最後の1文字を書き終わって、残り十数秒」だったとおっしゃっていた。

…こういった考え方にはある前提がある。それは「考えた時間とアイディアの質は比例する」という前提だ。もしこれが正しいとするならば、時間をギリギリまで使うというやり方は妥当である。

また、TACの解説なんかでも「ここは時間をかけて点数をとりたいところである」と書いてあることがあるが、これも「時間をかければ点数がとれる」という暗黙の前提があると思える。

でも、ボクはこの前提にはなんとなく疑問があった。

(続く)

「演習慣れ」による得点


TAC実力完成演習の結果が出揃った。
顔文字で表すと、

組織事例 ⇒ ( ゚Д゚)
マーケ事例⇒ ( ゚Д゚)
生産事例 ⇒ ('A`)
財務事例 ⇒ (;゚∀゚)=3

…こんな感じ。

5月のLEC中間模試で怒涛のD判定を喰らい、自ら最優先課題とした財務事例。努力のかいあって、今や一番得点をとれる科目に育った(今後どうなるかは分からないけど)。そして当落選上の微妙なところを組織とマーケ。

しかしながら、生産事例が伸びない。なぜか伸びない。
モノ作りの神様に見放されてるのかなぁ、俺。

…ところで、最近自分は「TAC演習慣れ」してきてしまっているんじゃないかという気がする。

TACの演習で、深く考えなくても期待されている答えや考え方が分かってしまったりすることがときどきある。けれど、過去問や他社模試ではあいかわらず設問の意味がよく分からなかったりする。

その「分かってしまう」内容を具体的にここで書くと、他のTAC受講生の方がそれを意識してしまい、学習上マイナスの影響を与える恐れがあるので、それは書かないでおく。

ただ、とりあえず言えることは、そういう「TAC慣れ」で取れた点数は、実力で取れた点数&本試験で取れる点数とは言い難いのではないか、ということだ。

だから、演習の点数には一喜一憂せずに、「TAC慣れで取れてしまった点数」と「実力で取れた点数」は切り分けて評価しておきたいなと思う。

シンキング・ハイ


昨日の続き。2日で事例8本。ありえない…。ウワアァァン!! ヽ(`д´)/

でも、早実の斎藤君だって、最後だったハズの試合の翌日に、さらにもう1試合投げた。ボクも負けずに頑張ろうと決めた以上、模試の翌日にまた模試をやる破目になったくらいで怯んでいるわけには行かない。

そうは思うものの、本当にアタマがマヒしてくる。

1次の模試や本試験の日、ボクは1日4食ゴハンを食べた。朝昼晩+試験終了後に吉野家の牛丼(並)。頭を使うことって、やはりそのくらいエネルギーを使うことなのだろう。

けれどその一方で、事例のシャワーを浴びる中で、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ見えた世界もあった気がした。ごくたまーに、「文章を読んでいて視界がクリアになるような瞬間」「ものすごく考えていたはずなのに時間が10秒くらいしか過ぎていない瞬間」があった。ランニング・ハイならぬシンキング・ハイってやつだろうか。これが80分間フルに続けられる人が「事例の鉄人」ってやつなんだろうか?

horiさんのコメントに対して、「パラダイス(天国)じゃないっすよ、パラライズ(麻痺)っすよ」ってツッこもうかと思ったけど、ボクが垣間見た世界は、本当に思考のパラダイスだったのかもしれない。

「2次の勉強は質が大切」と多くの人が言う。それは本当に正しい。
でも、その一方で「量が質に転換する瞬間」もあるんじゃないかとも思う。

MBAの学生は卒業までにケーススタディを5〜600本やるという。もちろん、ファイナンスなど他の勉強に加えて、だ。

また、ボクが大学の情報処理で初めてJavaを習ったとき、いくら教科書を読んでもオブジェクト指向のコンセプトが理解できなかった。けれど何千行もコードを書いているうちに、なんとなくそういうことか、という理解が芽生えてきた。

もしかしたら、2次の学習にも同じことがあるのかもしれない。

でも、M先生に学習スケジュールを相談しにいったところ、「その事例の取り組み数はちょっと多すぎ」と言われた。自分にはこれでも少ないと思ったんだけど…。むぅ。

リフレインが叫んでる


アメリカで昔起きた、少女殺害事件の真犯人が捕まったとニュースでやっていた。この事件、両親が犯人ではないかと疑われ、というかもうほとんどそういう決めつけで捜査や報道がなされていた。

そんな捜査や報道に対して、TVでコメンテーターが「勝手に(両親が殺害という)ストーリーを作り上げて、そこから離れられなくなってしまったんでしょうねぇ」と言っていた。


「勝手にストーリーを作り上げて、そこから離れられなくなってしまったんでしょうねぇ」

「勝手にストーリーを作り上げて、そこから離れられなくなってしまったんでしょうねぇ」

「勝手にストーリーを作り上げて、そこから離れられなくなってしまったんでしょうねぇ」
 ・

 ・
 ・
 
このセリフ、自分のアタマの中で100回くらいリフレインした。
なぜかというと、先日の演習で自分がやらかしたミスだったからだ。
これを読んでいる方の中にも、身に覚えのある方いるでしょう!(笑) 
m9っ`Д´) ビシッ!!

文中の記述に自分の先入観をかけあわせて、勝手にストーリーを作ってしまう。ジグソーパズルの微妙に形の合わないピースを強引にはめ込むような違和感をなんとなく感じつつも、模範解答を見るまでそれに気づかずに自分のストーリーから離れられなくなってしまう。

先日書いたリスク分類でいうと、自分的にはこれは「最優先(で対応)型」である。けっこう頻繁にやらかすミスだし、ストーリーを勝手に作っている分、関連した他の問題にも影響を及ぼして、ボンバーマンみたいに誘爆を引き起こして、ちゅどどどどーん!と連鎖失点する可能性があるからだ。

というわけで、この手の「誤認逮捕」「冤罪報道」型のミスには十分注意したい。注意したいって言っているだけだとまたやらかすに違いないので、解答手順に組み込むべき具体的な予防の仕組みを緊急に考えておきたいと思う。

マンガで学ぶ2次対応力


ボクの好きなマンガに「MASTERキートン」と「ゴルゴ13」がある。
「キートン」は考古学者も兼ねる探偵がさまざまな事件を解決していく話。「ゴルゴ」はおなじみ、依頼に応えて困難な狙撃を実行していく話。

2人の主人公に共通するのは「類推力」である。キートンは、現場に残された小さなヒントや、登場人物の何気ない一言から犯人を見抜く。ゴルゴも敵の不自然な行動や言葉を見逃さず、弱点を見破ったり罠から逃れたりする。2人が各話の終わりにオチを語るとき、読者は「え、そんなヒントあったっけ?」と思いページを戻る。そして本当にそんなヒントが埋め込まれていることを知って、なるほど〜と納得する。

もし、この2人が2次試験を解いたら相当強いと思う。2次試験では本文に埋め込まれた何気ないキーワードを捕まえて、真実につなげていかなければならない。なので、演習で詰まるとボクはキートンやゴルゴになったつもりで考えてみたりすることがある。それで答えがひらめいちゃった時には、「用件を聞こうか…」
(注:ゴルゴの名セリフ)とつぶやきながらタバコに火をつけたくなる気分(吸えないけど)。

キートンは全20巻、ゴルゴは文庫で89巻出ていて続刊中。両者を読んできて、ボクはそういう「類推する」ということの感覚がちょっとは身についてきたんじゃないかと思う。

というわけで、もし試験勉強の息抜きにマンガを読むのであれば、相乗効果の面からキートンかゴルゴを読むことをオススメしてみる。特にゴルゴについては、コンサルタントとしての「プロフェッショナリズム」についても考えさせられるところが多い。

600年の時を越えたアドバイス


「自分(の答案)を第3者の目で見つめられるようになること」

多くの先輩がおっしゃるアドバイスである。netplus氏も企業診断のエッセーでそういった内容を書いていらっしゃるし、先輩診断士の方のブログやサイトを見ていてもやはり多くのところで言及されている。

まったくそのとおりであり、独りよがりな答案を作っているうちは思うように得点が伸びない。採点者が読む瞬間をイメージした答案を書かなければならない。

ところで、これと同様のアドバイスを、600年前にしていた人がいる。

能楽の天才、世阿弥。
希代の名芸術書「風姿花伝」には、「離見の見(りけんのけん)」という教えがある。

風姿花伝


舞台の上で舞う自分を、離れたところからもう1人の自分によって見つめなさい、ということだ。ちなみに、ボクの座右の銘の1つでもある。

ボクはちょっとだけ音楽をかじっていた時期があり、そのときにたまたまこの言葉を知った。

でもこれは、能楽や音楽、芸術だけに限った話では当然ないと思う。ビジネス上のプレゼンテーションや書類作成においても、「もう1人の自分」にチェックをさせなければならない。

あらゆるコミュニケーションにおいて、「伝えたつもりのこと」と「結果的に伝わったこと」は違ってくる(このブログもそうなのだろうが)。「離見の見」の意識を持って、そのギャップを最小化していかなければならない。その努力を怠り、ギャップを放置しておくことを「自己満足」という。今からそうならないためのトレーニングをしておくことは、言うまでもなく、診断士試験に限らず今後の仕事や生活において有益と考える。

現代ほどに学問や芸術の発達していなかった600年前に、現代でも通じるアドバイスを残した世阿弥。他にも「序破急」「初心忘るべからず」「秘すれば花」などの名言を残したとされている。ただただひたすらに、感嘆である。

ブレイクダウン


「夏までに水着の着られる身体になる!」

…という目標は、抽象度がとても高い。もしこれを実現したければ、
もっと具体的に分解しなければならない。たとえば

⇒3ヶ月で9キロやせる
⇒1ヶ月で3キロやせる
⇒10日で1キロやせる
⇒1日のカロリーを○○に抑え、ジョギングを30分行う

みたいに、今日明日やるべきアクションにまで分解する。
これをボクの前職などでは「ブレイクダウン」と呼んでいた。
仕事で抽象的なことを言ったりすると、「もっとブレイクダウンしなさい」とよく叱られた。

事例対策も同じ。たとえば「本文を注意深く読む」という目標はまだまだ具体性に欠ける。「本文を注意深く読む」とは具体的にどういうことなのか、自分の解答プロセスをよく踏まえた考察が必要になる。

たとえば「注意深く読むために、○○の△△を意識する」だとか「2度出てきた言葉には要注意マークをつけておく」など、人によってさまざまだけど、目に見える具体的なアクションに落とし込まなければ、単なる精神論で終わってしまうということは共通する。

ちなみに、コーチングの世界では、「ブレイクダウン」とほぼ同義語で「チャンクダウン」と言う用語がある。こちらでも「具体的な今日明日のアクションに落とし込まずして、目標の実現はない」という考え方が基になっている。

…すんません。飲み会@池袋の帰りなので乱筆御免。楽しかったです。うぃ。

合言葉は「コペルニクス」 その2

えーと、明日の飲み会@池袋に参加される方へ。
私も参加しますのでよろしくお願いいたします。

さて、前回の続き。「そこに書かれていないこと」が重要ではないかと述べた。
もちろん、書いていないことを勝手に捏造してしまうのは危険であり、あくまでロジカルに導き出す必要があるのだけれど。

ところでボクは以前、「試験上のテクニック」と「コンサルタントとして本質的に必要な力」を区別したいと書いた。ではこの「書かれていないことに気づく」スキルはどっちなんだろうか。

ボクは後者だと思う。なぜなら、コンサルティングワークにおいても「語られたこと」よりも「語られなかったこと」のほうが大切な場合があるからだ。

ヒアリングをやったことがある方なら分かると思うが、クライアントは自分にとって都合の悪い情報を言わなかったりする。もちろん聞き手のスキルにもよるのだけれど、あとは悪気がなくても単に言い忘れてしまっていることだってある。だから、聞いた情報だけでコンサルティングストーリーを作ってしまうのは危険であり、「語られなかったことはないか」とひとまず疑うことが必要なのだとボクは考える。

だから、事例問題を解く時にはそんなコペルニクス的転回ができないかといったん考えてみる。それによって、もしかしたら解答の糸口が見つかることがあるかも知れないし、そういうトレーニングを今のうちから積んでおくことはきっと将来の仕事においても役に立つとボクは考える。

合言葉は「コペルニクス」 その1


2次の過去問を分析をしていて、「何が書いてあるか」と同様に、
「何が書いてないか」も重要なんだと思った。

コペルニクス的転回」という言葉がある。
いわゆる「逆転の発想」みたいな意味合いだ。

天文学者コペルニクスは、星が動いているのを見て、

「地球が中心になって星が動いているんだ」

とは考えず、

「動いているのは地球のほうではないか」

と考えた。

それと同じで、ボクらも、「税理士と診断士に経営管理の導入を依頼した(H17年度事例I)」
という文を見て、

「ふーん、プロに任せたのね」

とは考えず

「ってことは、従業員の参画がないってことか!」

と気づかなければならない。

あまり関係ないけど、「本文よりも先に設問から読む」という、今では当たり前のテクニックに最初に気づいた人も偉いなあと思う。「次の文章を読んで設問に答えよ」って書いてあれば、普通(特に単細胞なボクなんか永遠に)その順番にやろうとするだろうし。


明日に続きます。
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