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走らない車があったっていいじゃない


昨日は、研究会「Think! Think! Think!」の定例会でした。

取り扱ったテーマの1つに「ゼロベース思考」(過去の経験や常識にとらわれない発想法)があったのですが、その中でウシ子嬢から、とある斬新なヒット商品の事例が紹介されました。

ただし、その商品は18禁のものであり、(このブログは品のあるブログなので)ここでは具体的な商品名は申し上げませんが( ̄∀ ̄)、抽象的に言えば「本質的機能を取り払った商品」です。

「本質的サービスと付随的サービス」という考え方は診断士試験でもありましたが、本質的サービスとは、「それを取っ払ったらそもそも商品として成り立たなくなるじゃん」というような部分です。ウシ子が話したのは、そういう部分を削除、あるいは縮小した結果、新たな市場を切り開いたという事例なのでした。

平成17年のマーケティング事例のように、(ネイルサービスなどの)付随的サービスをなくすという発想はよく使われますが、本質的サービスそのものをなくしてしまうという発想は、ふつう思いつきません。同事例で言えば「髪を切らない美容院」というコンセプトに転換するようなものです。


「走らない車」「切れない包丁」「計算できない電卓」「通話できない電話」「教えない学校」…


その多くはやっぱりコケる商品だと思います。しかし、その考え方で成功した商品もないわけでない以上、発想法の1つとして持っておいて損はないと思うのです。

そういえば、先日「アンコの入っていないたい焼き」がTVで紹介されていました。最近よく見る「白たい焼き」ですが、周囲のモチモチした部分だけのたい焼きが売っており、それをすき焼きの具にするという家庭が取材されていました。これも「アンコ」という本質的部分を取り除いた発想の勝利と言えるかも知れません。


「走らない車」だけどオブジェとして人気が出て売れる、もしかしたらそんなことだって起こりうるかも知れないなぁと思うのであります。


「努力の方向音痴」


なにげなくtwitterで、「努力の方向音痴になるのは避けないとね」とつぶやいたところ、
http://twitter.com/pepache/status/8623533105

何名かの方がドキリとされたようです( ̄ー ̄)。


ちなみにこの「努力の〜」は、以前2chでどこかで目にした言葉です。なるほど上手い表現だと思いました。


「努力」は美徳であり尊いものであり、それ自体否定されるべきものではありません。

しかし、ややもすると「努力すること自体に満足」してしまったり、「努力している自分に酔うだけ」の状態、「努力している自分を他人に見せて満足しているだけ」の状態に陥ってしまったりという、「努力の罠」にハマってしまうことがあります。

もちろん、そういった努力はなかなか成果に結びつきません。


マンガ「はじめの一歩」に出てくる有名なセリフにこのようなものがあります。

「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」

この言葉は、単なる努力ではダメで、そこにさらに「努力の方向性」を付加しなければならないと言っているように思います(あるいは付加すべきなのは「才能」なのかも知れませんが、それを言ったら話が終わってしまうのでw)


「努力」は、それだけでは不十分で、そこに「正しい方向性」が必要であるように思います。コースをいくら猛スピードで逆走しても、正しい方向に走らなければ競技には勝てません。

「努力の方向性」というのは曖昧な表現ですが、ここでは少しヒントになりそうな本を紹介しておきます。


ベストセラー「仮説思考」でおなじみ内田さんの新作「論点思考」。「仮説思考」は言ってみれば問題解決のための考え方ですが、本書では「そもそも解く問題が間違っていたら意味ないよね」ということを指摘しています。


(本書より)
・ビジネスにおいて本当に大事なことは、やらないことを決めることだ。
・成果をあげるには真の問題を選びとることが大切だ。
・仕事で大事なことは問題を解決することであるのはいうまでもないが、それは正しい問題を解いている場合に限るという前提がつく。
・「経営における最も重大なあやまちは、間違った答えを出すことではなく、間違った問いに答えることだ(ドラッカー)」


こういったところに本書の主旨があります。


そういえば、以前いた会社ではこのような名言がありました。

「本来やるべきでない業務を効率化しようとすることほど非効率なことはない」


そもそもの問題(論点)設定が間違っていれば、いくら取り組んでも高い成果は出ない。

女性にモテたいからといくらダイエットに励んだとしても、もし女性の求めるものが(たとえば)「優しさ」「経済力」などであったとすれば、なかなかモテるようにはならない。

こういった問題設定の間違いを、言い換えれば「努力の方向音痴」ということになると思うのです。


もし「自分は努力の方向音痴だ」という方がいましたら、本書で問題設定力を磨いてみてください。

なお、以前「プロの課題設定力」という本を買いました。こちらもタイトルから想像されるとおり、内田さんと同じようなことを論じています。余裕のある方は、両方比べるようにしながら読んで、ご自身なりの「問題設定」について考えてみることをオススメいたします。

コンサルタントは「わからない」と言ってはいけない


最近、なにかを質問されたときに「わかりません」という返答をしなくなってきたなと思います。今までは「分からない」で片付けてきたような質問でも、「自分なりにこう思う」という仮説を言うようになってきたということです。

たとえば。仕事仲間と電車に乗っていたら、水道橋駅でいつもより沢山の人が乗ってきた。「なんでこんなに人が多いんでしょうね」と聞かれて、「さあ…」と返すのは簡単です。

ですが、少し考えてみれば「東京ドームでなにかイベントがあったのかも知れない」と考えることができますし、さらに客層や持ち物、さらに季節などを考慮すればイベントの種類も類推することができるかも知れません。

(こう考えてみると「話が続かない人」の1つの原因は、分からないことをすぐ分からないと言ってしまう点にもあるのかも知れません。デートなどで話を保たせるには、最悪あてずっぽうでもいいのでなにかコメントを言ってみることが秘訣ではないかと思います←上から目線で婚活アドバイス


「無知」というのはけっこう強力な武器です。「だって、知らないもんは知らないもん。しょーがないじゃん」と開き直ってしまえば許される場というのはけっこう存在します。専門性を高めることがよしとされるこのご時世、「この領域は自分の守備範囲外だから」と言ってもあまり痛い目には遭わないで済んでしまったりします。


しかし、そればかりでは進歩や発展がないように思うのです。知らない領域だからと、そこに踏み込まないでいるのはラクなことですが、それはちょっともったいないですかー?もったいない気がします。ラクをせずにそこに踏み込めば、(上記の水道橋の例のように)話が膨らんだり面白い気づきが得られたりするかも知れません。


誤解のないように言っておくと、もちろん「知ったかぶり」はNGです。知らないことを知っているふりをして事実誤認を人に広めたら、後でその人や自分が恥をかいてしまいます。ここで言いたいのは、分からないことでも「自分なりにこう思う」という仮説を持つことです。


前の会社では、上司(悪魔)に「コンサルタントは『分かりません』を言ってはいけない」とよく言われました。顧客から、まるで分からないことを尋ねられて「分かりません」「知りません」と答えては信頼を失ってしまう。頼りにしてもらえなくなってしまう。分からなくても分からないなりに、今持っている知識や情報を根拠に「現時点ではこう思います」と言うべきだ、と。

「フェルミ推定」がコンサルタントの面接試験やトレーニングとして使われているのも、根底では同じだと思います。「分かるわけない!」というムチャ振り問題に、それでもなんとか近い答えを出そうとする。

「地頭力を鍛える」を読んで「ちょっとこのトレーニング(フェルミ推定)は面倒くさそうだなー」と思われた方でも、「なるべく『分からない』を言わない」という習慣作りなら、とっかかりやすいと思います。

仮説構築力が向上する、話が膨らんで続くようになる、面白い気づきが得られる(かも)…。そういった効果を享受したい方は、ぜひこの習慣作りに取り組んでみてください。



…かといって、あまり私にムチャ振り質問をしないでくださいね。この記事を読んだ上で意地悪な質問をぶつけてくる輩には、ためらいなく「分かりません」と即答する方向で。( ̄ー ̄)

人の2倍のスピードで成長するための「学び取る力」


なんか勝間和代氏の本にありそうな煽り系タイトルですが、実際のところ関係はありません( ̄∀ ̄)


同じような経験をしていても、そこから「A(だけ)を学んだ」という人もいれば「AとBを学んだ」という人もいます。

たとえば自分はプログラミングの仕事(JAVAとかVBAとかPHPとか)をしたことがありますが、プログラミングの勉強や仕事からは「論理的思考力」を学び取ることができると思います。

経験者の方はお分かりになると思いますが、プログラムは、組んだロジック以上のことも以下のこともしてくれません。人間には到底不可能な計算の速さが強みなのですが、あらかじめの設計以上のサービスはしてくれません。また、設計が間違っていれば間違った通りに動作します。

もし人間であれば、指示者のちょっとした間違いでも行間を読んで柔軟に対応してくれますが、コンピュータはその圧倒的な処理速度と引き替えに、そういった柔軟さを持っていないのです。だから、プログラミングには徹底した論理の構築力が求められます。

実際、自分もプログラミングの仕事の中で培った「スキなくロジックを組む力」は、システム関連の仕事をしていない今でも大いに役にたっています。

(大前研一氏もそういう意図で「社会人になったらプログラミングを2年やれ」とどこかの本で書いていたような気がします。出典が分からなくなってしまったのでうろおぼえですが…)


まあ、最初はあまり自分も意図していなかったのですが、そうやって同じプログラミングの経験を積むのでも「プログラミング(だけ)を学ぼう」と思って取り組むのか、「プログラミングに加えて、論理構築力を身につけよう」と思って取り組むのかによって、同じ期間でも得るモノは違ってくるのではないかと思います。

診断士試験も、直接的には「経営学の体系的な知識」や「コンサルタントとしての問題解決力」を学ぶわけですが、間接的にはもっと様々なことを学びます。たとえば受験期間中や本番中のタイムマネジメントの力とか。

特にこれから学び始められる方は、「受験を通して何を身につけようとしているのか」と定義してみることをオススメいたします。

一度、そうやってブレスト的に書き出してみるのも面白いかも知れません。勉強会に参加している方であれば、みんなで出し合ってみると様々な気づきがあると思います。100個くらいは、すぐに挙げられると思いMAX。

昔作ったパワポが恥ずかしい


社会人1年目(7年前)のときに作ったパワーポイントの資料(会議用資料とか報告書とか)が手元にあるのだけれど、今になって見返すと、やはり恥ずかしくて「うわああぁぁぁーー!!!」となってしまう。文章の拙さや思考の浅さがありありと分かる。

これが3年前の資料だったら、やはり「うわああぁぁぁーー!」となる。2年前のものでも同様に思う。

しかし、1年前のものだったら、あれこれ手を入れたいところはあるものの「ま、こんなものかな」と思ってしまう。1年前から成長していないということはないのだろうけれど、自分の場合は成長が実感できるのはだいたい2〜1.5年くらい前までの資料ということになる。


どこまで直近の資料を恥ずかしいと思えるか。「昨日作った資料を見返して恥ずかしくなる」のが理想ではあるのだけれど、それはさすがに難しいので「先月」とかそんなくらいにはなりたいかなぁ。つまり1ヶ月単位では成長を実感できるレベル。


法務や会計、英語などと違って、思考力や文章力には資格があったり定量的に測れる基準がなく(「ロジカルシンキング検定」なんてものがあったらおもしろそうだと思いますが)、成長を実感することが難しいスキルだと思うのですが、自分の場合には過去の作成物を見返すことで、その伸びを確認することがあります。

ちなみに、そういう意味ではブログもその確認に一役買いますね。3年前の記事とか読み返すと「うわああぁぁぁーー!」と自分の思考力や文章力に赤面したりしますもの。



おまけ:本文には関係ないけれど、ある洋館を訪れた。バイオハザードみたいで奥からゾンビが出てきそう。窓ガラスを破って犬が入ってきそう( ̄∀ ̄)

仕事のできる人が持っている「区別力」


一見似ていて、多くの人が混同しがちな2つの要素について、その本質的な違いを認識して区別していける人は、仕事ができる人だなという感じがします。


たとえば「考える」と「悩む」の違い。

たとえば「リーダー」と「マネージャー」の違い。

たとえば「プロフェッショナル」と「エキスパート」、「スペシャリスト」の違い。


こういう違いに気づき、意味をじっくりと考えていけるセンシティビティを持つことが、コンサルタントとしてやっていく条件の1つなんじゃないかと思います。なぜかというと、こういった微妙な違いから、あらたな創造や問題発見、問題解決の糸口が見つかることがあるからです。

たとえば「考える」と「悩む」を区別できるようになれば、「今、自分は考えているのか/悩んでいるのか」という評価を客観的に行うことができ、無駄な時間の削減を進めていくことができます(これは仕事に限らず、2次試験でもそうですが)。


(そういえばタイトルで「区別力」とか書いちゃいましたが、最近「○○力」という本も多いですね。「なるほど、そんな力あるんだー」と気づかせてくれるものもあるけれど、最近は「○○力」が粗製濫造されていると感じます。「△△力も必要」「■■力も必要」とあれこれ押しつけられては消費者は消化不良になってしまう。「ビジネスパーソンとして真に必要なスキルはなんなのか」を教えてくれる存在が求められているような気がします。)


それに、こういう「似てるけど実は違うんですよ」的なネタを多く引き出しに持っておくと合コンセミナーなんかで「へぇ〜」な話ができますしね(生産管理でおなじみ「整理と整頓の違い」など、話すとけっこう感動されます)。


逆に、そういう違いを気がつかなかったり区別できなかったりする「ルーズさ」は、仕事のアウトプットの品質にもつながっていくように、経験的に思います。「似てるようで微妙に違う気もするけど、考えるのも面倒くさいし一緒でいいやー」とまとめてしまう「雑さ」は、その人の思考や文章に表れていると、僕はときどき思います。


「プラス」ではなくて「Not マイナス」


以前、「ほめ言葉ハンドブック」という本を買ったのですが、最近「よけいなひと言ハンドブック」なる本が出たことを知りました。

どちらも出版社や著者が違い、2冊に直接的なつながりはないようです(どちらも有名な方なので著者どうしが知り合いである可能性はありますが)。

しかしながら、タイトルがとても対照的です。かたや「言うべき言葉」かたや「言ってはいけない言葉」。前者の「ほめ言葉」も参考になる本でしたが、後者の「よけいなひと言」のほうも興味をそそります。


人間には、仕事などで「成功したい」という欲求がある一方で、「失敗したくない」というベクトルの欲求も強く持ち合わせているように思います。

セミナーなんかでも、たとえば「賢い家の選び方」よりも「家選びで失敗しない方法」みたいなタイトルには引きつけられます。また、ロジカルシンキングの講義なんかをしていても「ロジカルシンキングによくある誤解」みたいなトピックになると多くの方が耳を傾けてくれます。

日本の「恥の文化」ゆえでしょうか。失敗したり誤解したりすることで恥をかくことを怖れるからこその傾向なのかも知れません。


「成功したい」というよりも「失敗したくない」。

「理解したい」というよりも「誤解したくない」。

「幸福になりたい」というよりも「不幸になりたくない」。

「お金持ちになりたい」というよりも「財産を失いたくない」。

などなど…


そういった、「プラス」ではなくて「Not マイナス」という切り口にフォーカスすることで、人々の耳目を引きつけることでできる(かも)ということを覚えておいていただけると、どこかで役に立つかも知れません。

つい先日も、ある企画書で「○○で恥をかかない方法」というフレーズを入れておいたところ、それを読まれた方はやはりそこに反応されていました。心の中で「計画通り( ̄ー ̄)」と思いましたね。





(これはちょっと違う)


そういえば、診断士試験でも「合格する答案を書く」のではなくて「落ちない答案を書く」ことが大切だと、Mコーチから教わりましたっけ…。



「うまく言えないけど」を言ってはいけない



企業診断の8月号が発売となります。

今回の私の連載「つま先立ちで歩こう」では、こんなことを書いています。


「うまく言えないけど」を言ってはいけない。


「うまく言えないけど、ちょっと違うんだよね〜」「うまく表現できないけど、この絵、なんかいいよね〜」などなど、ついつい使ってしまいます。ですが、ビジネスパーソンとしてのスキルアップを目指すのであれば、このフレーズは極力、言ってはいけないのです。

なぜ言ってはいけないのか。詳しくは本誌をお読みいただきたいのですが、診断士試験や、さらには日常の生活や仕事にも関わってくる「コメント力」と密接な関連があります。


コラムでは「夫婦の会話」とか「合コン」を例に持論を展開しています。結婚してないくせに「夫婦円満の秘訣」について語ったり、マジメな雑誌である「企業診断」誌上で合コンネタを書いたりと、相変わらずムチャしまくりです。あはー。

最近、「仕事はロジカル、恋はマジカル」をモットーとしているぺぱぽんでした。


そうそう。「企業診断」と言えば、上記の連載とは別に特集記事を書かせていただけないか提案しています。チーム「Think! Think! Think!」のメンバー数名で、あるテーマでノウハウをまとめて執筆しようというものです。

こちらはまだ確定はしていませんが、また進展があればご報告したいと思います。


将棋は手を動かして学ぶ


本屋でなんとなく買った「先を読む頭脳」(羽生善治ほか・新潮文庫)。

羽生名人へのインタビューをもとに、2人の学者が人工知能研究および認知科学研究の観点から考察を試みる。

まだ半分も読んでないですが、(個人的に)すごく興味深いです。
いくつか紹介したい部分はあるのですが、今回はとりあえず1箇所だけ。


「私(羽生名人)は、パソコンの画面でマウスをクリックして動かすのと、実際の盤上で駒を動かすのとでは、蓄積される記憶の質が違うように感じています。その理由は、1つにはパソコンの画面で動かすとどうしても早く手を進めていってしまうので、結果的に長く覚えていられないという点にあると思います。」

「(盤上で動かしてみることで)その思考の過程が、重層的に記憶されていくわけです。」

「両者を比較した場合、やはり手で駒を握るという感覚がとても大事なのだと思います。将棋を勉強する際には、駒を並べて動かしていくのが、間違いなく効果的です」


これに対して、伊藤毅志氏(認知科学者)と松原仁氏(人工知能研究者)は、多くの将棋実力者が同じような実感を持っているということを指摘したうえで、「駒を動かす」学習方法には「’銃暗で身体的な学習」と「多用な表現を用いた学習」であることに効用があると述べています。

,蓮∧源通り身体を伴った学習が、記憶をより強固にしてくれるというもの。△魯僖愁灰鵑任浪萍未任靴局面を認識できないが、実際に駒を動かせば棋譜だけでなく盤上の空間的な移動や、その結果として盤上に現れる局面が、理解を深めさせてくれるというもの。

(このあたり、本間正人先生のセミナーで学んだ「多元的知能論」を彷彿とさせます )


これを読んで、以前ブログで書いた「与件文を歩く」という記事を思い出しました。

何十回と読んだはずの試験問題であっても、実際に写経してみることでより理解を深めることができたという話。たしかに写経という行為も能動的で身体的な学習であり、そして「紙に写す」という多元的な表現を伴った学習です。写経はラクな方法ではないし、すべての学習時間をさくわけにはいかないけれど、それ相応の効果はあるものだと思っています。


そんな感じで、他にも、「自分の思考を見つめる『メタ認知』能力を持つ」「自分なりの(学習)スタイルを確立する」など、試験勉強にも通じるテーマが、本書には採り上げられています。

読み終わったらまた採り上げたいと思いますが、試験勉強中の読み物としてはけっこうオススメかも知れません(でも「受験生最後の日」もよろしくね( ̄ー ̄))。自分は将棋はほとんど知らないのですが、それでもなんとか読めるように丁寧に説明されています。


あー、それにしてもちゃんと将棋勉強してみようかなぁ。今年はマラソンに打ち込むけど、来年のテーマは「将棋」にしようかなあとちょっと思う。


追記:tigerさんも、診断士試験勉強にオススメということで本を1冊紹介されています。
http://spiralrenewal.seesaa.net/article/123916696.html

2つのTVCMから得る、発想のヒント


昔、コンタック風邪薬のCMで、こんなのがありました。

決闘。長時間向かいあってお互いスキを伺う2人の侍。しかし、やがて一方がクシャミをしてしまい、もう一方がスキありと斬りかかる。

コンタックを飲んでいた侍のほうが長く耐えることができた、というわけです。



参考
http://contac.jp/funzone/cm/cm_samurai.html


それ観てからしばらくしたあるとき。なぜか、ふとメントスのCMを思い出しました。

海でおぼれる女性。ボートから手をさしのべて助けようとする男性。手の先にはなぜかメントスが。

メントスが3個分増えていたおかげで手が届き、無事に救出成功した、というわけです。

参考



なんでこのCMを思い出したのかというと、どちらも「商品のメリットを(アホなほど)大げさに表現している」という点で共通しているからなのだと思います。

・コンタック⇒持続時間が長い⇒決闘で勝てる
・メントス ⇒3個多い   ⇒救出に成功する


商品の差別化要因を、「それは、ないない(笑)」と思わずツッコミを入れたくなるほどに膨らまして映像化する。するとCMが1本作れるんだな、ということに気づいたわけです(あくまで、広告の方法論の1つとしてですが)。

広告のプロのような方からしてみたらとっくに既知のやり方かも知れません。ですが、誰が先か後かに関わらず、自分で閃いたことは強く自分のモノとして残ります。

今後、広告を作る仕事に直接携わることはないと思いますが、それでもなんらかのカタチで発想のヒントになってくれる可能性は十分にあると思います。


僕は、このように「2つのかけ離れた事象をつなぐ共通点」を見つけて、それによってさまざまな気づきを得ていることが多いように思います。そして、その積み重ねが、自分でモノを考える際の引き出しとなって役に立っているのではないかという気がしています。
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