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議事録で文章力アップ


中小企業政策研究会のメーリングリストには流しましたが、毎月の研究会の議事録作成はウチのチーム「Think! Think! Think!」で担当させていただこうかと思っています。

議事録作成は、


]辰鯤垢力、理解する力 【インプット】

∀辰鮴依する力、要約する力 【プロセス】

F匹澆笋垢な絃呂僕遒箸傾む力 【アウトプット】


と、ビジネスパーソンとしてのスキルが総合的に求められる仕事であり、チームメンバーが持ち回りで担当し作成していくことで文章力の向上が図れるのではないかと考えております(毎月担当者を決めて作成してもらい、僕やチームメンバー複数名でクオリティチェックを入れるという手順。チームに加入される予定の皆様、ご協力よろしくお願いいたします)。

ちなみに、上記の´↓は、ほぼほぼ診断士の2次試験にもあてはまるんじゃないかと思っております。社内で会議があった際には議事録係をどんどん引き受けて、´↓に意識を持って取り組んでいけば、仕事を兼ねて試験の実力もつけていくことができるのではないかと思っています。ご参考まで。


関係ないけど、モスド(モス+ミスドのコラボ商品)。




うまぃ。

「エントリーの書き方」+東松山遠征の巻


ふと思いたって、「自分がエントリーを書くときにはどんなパターンがあるか」というのを整理してみた。


‘常のなにげない1場面を捉え、できるだけ深く考察してみる

→例:「じゃ、授業料ちょうだい」(「勉強になりました」という発言に対しての考察)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=652

→例:「タマ持ってる」(「タマ持ってる」という会社用語についての考察)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=581



パターン◆Гけ離れた2つの要素の結合:「○○と△△って、実は共通点があるんだぜ」という発見に絡めた議論。

→例:「資格を守る人になろう」(「診断士資格」と「サラリーマン金太郎」を絡めて「守る人になろう」というメッセージを提示)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=657

→例:「マリー・アントワネットと任天堂に学ぶゼロベース思考」(マリーと任天堂という、全然別のモノを「ゼロベース思考」という言葉で結びつけて説明。このエントリーは今読むとちょっと強引な気もするけど…)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=568



パターン:オリジナルな視点の導入:あるものごとに対して、一般論や他人の言葉ではなく、自分なりの視点で評価する。

特に本やイベントなどの紹介をするときはこのパターンが多いかな。

→例:「メディア芸術祭@国立新美術館に行ってきた」(メディア芸術祭に対する、自分なりの視点からの評価)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=640

→例:「車の話じゃ、ないですよ」(「戦略脳を鍛える」という本に対する、自分なりの視点からの評価)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=643



パターンぁО娚阿別簑蠹世了愿ΑА崑燭の人が見過ごしているけど、これって実は問題だよね」という指摘。

→例:「ことわざは根拠にならない」(ことわざが根拠のロジックは一見それっぽく見えてしまうけれど、見過ごしちゃダメですよという指摘)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=631

→例:「キリのいい数字のワナ」(人はキリのいい数字に合わせるためにムリをしてしまうことがあるという問題点の指摘)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=638

→例:「総論賛成のワナ」(全員が賛成できるような主張は、逆に議論が深くならないという問題点の指摘)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=650

→例:「○○は呑んでも呑まれるな」(「自己啓発」は大切だが、一方で気をつけないと呑まれてしまうリスクがあるという見方の指摘)
http://redwing-don.jugem.jp/?eid=647


他にも「暗黙知の言語化」とか、パターンはまだあると思うけれど、とりあえずはこの辺で。また分析してみます。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

今日は、池袋から下ること1時間。


だんだんだんだだんだんだーん だんだだ埼玉♪

埼玉の人はなぜか分からないが 東京の人よりも東京に詳しい♪

アルタの下だとか上野のアメ横でメロン食ってる奴ら みんな埼玉人♪

(はなわ「埼玉県」より)



というわけで来ました! 埼玉は東松山の焼き鳥屋「桂馬」へ。
野郎5名と、502読者のアコガレ=NANAさんと飲む。



みんな埼玉関係者。

え? 僕?

僕は違いますよ。

電話番号も03ではじまる、生粋のシティボーイであります。

「空と雨と傘と」


今度の仕事場の近くには蕎麦の老舗があって、とてもうまい。
やっぱり、蕎麦は江戸の誇りですね。


さて。以下、2次試験過去問(平成18年組織事例)のネタバレ含みます。



「空・雨・傘」という話を聞いたことがあるかも知れない。

これは言ってみれば論理展開のお作法みたいなもの。マッキンゼーで教えられているフレームワークであり、照屋華子氏の「ロジカル・ライティング」や勝間和代氏の「フレームワーク力」(正確なタイトル忘れた)でも紹介されている(お2人ともマッキン出身)




ペパセミでもちょっと扱います。


かなり汎用的なフレームであり、2次試験でもこれで捉えることのできる問題が出ている。

平成18年度組織事例の第3問。

(設問1)
・「この組織はどういう状態か」
(⇒解答は「空は曇っています」に相当)

・「それがどのような問題があるのか」
(⇒解答は「雨が降ると思われます」に相当)

(設問2)
・「では、この組織はどうするべきか」
(⇒解答は「傘を持っていきましょう」に相当)


このように、設問1が「空+雨」を述べ、設問2が「傘」を述べるようになっている。こういう、しっくりくる構造になっている。

まあ、出題者が「空雨傘」を意識していたとはもちろん思わないけれど、こういうふうに至るところに「空雨傘」の構造は見受けられるということがおわかりいただければと思う。


重要なのは、「この組織は製品別と地域別の部署が混在している」とだけ指摘しても、「で、それが何だって言うの?」(So What?)と言い返されるだけだ、ということ。

「混在しているから○○という問題が起こるんだ」とまで言わなければならない。状況の指摘だけでは話が進まない。主張は、相手の「So What?」が出てこなくなるまで、進めなければならない。


まあ、「曇り空」を指摘したのだから「雨」は汲み取ってよぉ、という、日本人的な暗黙のコミュニケーションに期待したくなる気持ちも分からなくはない。けれど、仕事ではきちんとに認識あわせをしておかないと後で大変なことになる。

「雨」にしても、「小雨」なのか「大雨」なのか「雷雨」なのか。その前提が食い違っていると、その後の打開策の議論も当然にかみ合わなくなってくる。また、そもそも「曇りだけど、後で晴れます」と解釈される可能性だってあるし。


まあ、なんでこんなこと書いているかというと、今チェックしている書類がまさに「曇り空」しか書いていないからなんですね。その先を書いていないってことは、そういう「小雨?」「大雨?」という認識のブレを起こさせるし、なにより「後はお前考えろ」という、負担の無意識な押しつけを読み手に与えていることが大きな問題なんです。

そういう資料を見ると「読み手に対する愛が足りない!」と、ボクとかボクの仲間は指摘したりします。

これが自社の部下の作成だったらカミナリ落とすところなんだけれど、なにせ今の仕事は●●が▲▲(オトナの事情)なもんで、ちょっとやりづらいんですよぅ、むぅ。




ロジカル・ライティング (BEST SOLUTION―LOGICAL COMMUNICATION SKILL TRAINING)

「結論⇒理由⇒具体例」の本質


2次試験をはじめとする論述試験においては、「結論⇒理由⇒具体例」の順番で書きましょう、ということがよく言われる。この時期、多くの受験生の方もこのパターンで100文字の解答を作る練習をされていることと思う。

では、そもそもなぜ「結論⇒理由⇒具体例」の順番で書く必要があるのだろうか。そこまで突き詰めて考えたことはあるだろうか。

もちろん、法律でそう書くように決まっているわけではない。答えは、それが「読み手が知りたい順番」だからということに尽きる。

試験における読み手は、もちろん出題者&採点者。出題者としては当然、最初に「要は、あなたの答えは何?」ということを知りたい。そして、答え(結論)を聞いたならば当然、「なぜそう思うの?」と心が反応する。だから「理由」を述べる必要がある。理由を述べれば、「じゃ、たとえば?」とか「もっとくわしく!」となるのがこれまた当然の反応である。だから「具体例」とか「詳細説明」を次に入れる必要がある。

まとめると、


 嵳廚蓮△△覆燭療えは何?」

◆屬覆爾修思うの?」

「じゃ、たとえば?」 or 「もっとくわしく!」


という、読み手の興味のステップが必ずある。その興味に応える結果として「結論⇒理由⇒具体例」というパターンができあがるのであり、何もこのパターンが最初から機械的に決められているわけではない。

この「結論⇒理由⇒具体例」というパターンを、単なる解答のパターンとして捉えるか、あるいは上記のように「読み手が知りたい順番」を検討した産物として捉えていくかにより、その後の応用力は変わってくると思う。


2次試験では100字前後の設問が多いので、この「結論⇒理由⇒具体例」を基本とした構成で書くことがほとんどだと思う。このパターンさえ使っていれば、大きく外すことはないと思う。

だけど、晴れて診断士になり、診断報告書や提案書、企画書、研修テキストなどを作っていくようになったら、そこには「100文字」という制約はなくなる。大まかなパターンや定石はあっても、原則としてその構成はまったく自由となる。そこで「読み手が知りたい順番」をイマジネーションをもってデザインできるかどうか。

診断報告書を作るにあたって、読み手(経営者)が最初に知りたいことはなんだろうか? それを知ったら次になにを知りたいと思うだろうか? それに答えたらその次には何を知りたいだろうか…、と構成をつなげていく。いきなり結論を知りたいかも知れないし、最初に前提とか背景を述べる必要があるかも知れない。

いずれにしても、知りたい順番に答える構成になっていれば読み手は快適さを感じるし、なっていなければ読み手は分かりにくさやストレスを感じる。まあ、かくいう自分も鮒侍なもんで(笑)、そういうものを作っちまったことは多々ありますが。


診断報告書や提案書、企画書、研修テキスト…そういったものをストレス無く受け止めてもらうためのクレドが「読み手が知りたい順番で作る」ということ。「結論⇒理由⇒具体例」はあくまでそのクレドの産物。

そう認識し、「読み手が知りたい順番で作る」ことを今から習慣化していくことで、診断士になってからの文書作りが説得力を帯びたものになってくると僕は思います。

「日報」


当事業部では、新卒1年目の社員に対し「日報」を書くことを義務付けている。

これは6月から8月までの3ヶ月間、日経新聞の記事を1日1つ選び、それについての考察をブログ形式で書いてもらうというものだ。それに対して、我々先輩上司がコメントを返す。

コメントをつけるのは、いつも真剣勝負。一生懸命に書いた彼の文章に対して、何を指摘・アドバイスすれば成長に繋がるのか。わずか数百字の文章に対して、あれこれ考える。

たいていの場合、一読すればどこかに違和感を感じる。そして、その違和感の源泉がどこにあるのかをとことん考える。

主張に対して根拠が弱いのではないか。論理が飛躍しているのではないか。言葉遣いがおかしいのではないか。一般論や抽象論に終始しているのではないか。評論家的視点に偏っており、コンサルらしい提言に欠けているのではないか。

そんなふうに、さまざまな視点から検討を試みる。もちろん、先日書いた「WhatとHow」の観点も意識して、内容と書き方の両方から評価を行う。


そんなことを繰り返して約1ヶ月。彼の文章力は着実に高まりつつある。正直、1回目のエントリーなんかは相当に改善点があったが、現在はまっとうに読める文章が書けている。彼の素質もあるのだけど、社会人1年目としては相当高いレベルにある(社内限定ブログなのでお見せできないのが残念)。少なくとも、自分が彼の年齢のころよりは上手い。

「鍛えれば伸びる」という、ごく当たり前の真実を痛感する。彼は診断士志望だが、このままいけば、来年には2次試験で戦える力が十分についているだろう。とても楽しみだ。


一生懸命なメンバーには、一生懸命応える。がんばれ。超がんばれ。

文章におけるWhatとHow


週1、2回しか更新せず、診断士受験ネタもほとんど書いていないにも関わらず、エントリーを書いた日にはいまだに400〜500のアクセスがある。まあ、重複アクセスとかを除けば実際の読者数はもっと少ないのだろうけど、読む方がいる限りはできるだけいいものを書いていきたいと思う。


さて、今回は「文章力」について。「いいものを書いていきたい」と書いたものの、「いい文章」ってどいういうことだろうか。

僕は、文章力は「WHAT」と「HOW」から構成されると考える。

WHAT(何を書くか)
 ⇒題材・テーマの面白さ、意見の鋭さ、視点や着眼のユニークさ、アイディア・発想力、自分らしさ…
HOW(どう書くか)
 ⇒全体構成力、単文構成力、表現力、ボキャブラリー、レトリック(修辞)…


△あって,ない文章は、「読みやすいけど、つまらない。一般論的であたり前のことしか書いていない。個性がない」文章となる。

逆に、,あっても△ない文章は「なんか面白そうなことを書いているけど読みにくくてよく分からない。伝わらない」文章となる。

文章力を高めるためには,鉢△領省からの取り組みが必要と考える。


今のところ、自分はともかく,鮃發瓩討いたいかな。自分くらいしか気がつかないような視点を見つけたり、おもしろいことが浮かぶとワクワクする。だから、もっともっと、自分なりの着眼を手に入れたいと思うのだ。

「言葉」で食べる職業


はい。それはもちろん診断士のことです。

執筆の仕事に限らず、診断でも講演でも研修でも、なんらかの文書や資料作成は行う。それゆえ、診断士は「言葉」が商売道具とも言える。どんな職業であれ、商売道具をおろそかにする人は大成しない。

会社で部下の資料のチェックをする機会があるが、誤字脱字の多い輩がいる。
⇒あちこちを直す。
⇒これ以上誤字脱字がないか気になって探してしまう。
⇒どうすれば彼の誤字が減らせるのか悩んでしまう。
そんなふうに時間を使ってしまうので、なかなか中身の議論に入れない

もっとも、自分もたまにやってしまうのだけど、クライアントの前でリズムよくプレゼンを進めていても、「ここの字間違ってるよ」とツッコまれると、せっかくの流れがそこで止められてしまう。

「真実の瞬間」(以前紹介したけど超オススメ)のヤン・カールソンは語る。

「乗客は、自分が使うトレイが汚れていると気づいた瞬間、自分が乗っている飛行機にも同じ程度の注意しか払われていないと感じる」

一事が万事。応用すれば「経営者は、報告書の誤字脱字に気づいた瞬間、自分の会社にも同じ程度の注意しか払われていないと感じる」、ということにならないだろうか。

「内容さえよければ多少の誤字脱字なんて」というのは傲慢。超傲慢。安くないギャラを頂くコンサルタントだからこそ、「そんなところにまで気を配るのか!」と驚かれるくらいのクオリティを目指すべきだと思う。

人間は完璧ではないので、完全に誤字脱字をなくすことはできない。自分も最近、あるブログに書き込んだコメントを読み返したら、見事に誤字をやっていた。orz

ただし、常に誤字脱字をなくす努力はすべきだと思う。僕は常にある恐怖感を持っている。それは「自分の書いた字は、実は間違っているのではないだろうか」という恐怖感。

「補習」という字。最初に書いたときは変換候補に「補修」もあったし、「これ、違ってたらどうしよう」とすごく不安に思った。だから、辞書を引いたり、診断協会のHPを見て「補習」でよいことを確認した。そんなふうに、絶対に自信のある字以外は、徹底的に裏をとったし、今でもとるようにしている。


繰り返しになりますが、僕たちは「言葉で食っている職業」であることは意識しておいてほしい、自分の書いた言葉に対して多少はチキンハートになっていてほしいなと思います。


…あー、これだけ書いておいて、このページに誤字脱字があったらめちゃカッコ悪い。

ちなみに、ある小売店で「この値段は間違いではありません!」と書いた激安チラシに、間違いがあったとか。「冷蔵庫1000円」みたいな。案の定、893な職業の人が「間違いではありませんって書いてあるよな〜」とすごんで買っていき、大損害を被ったとか。

「英語の中で日本語を知る」


「100」という数字、どう思いますか?


…って言われても困ると思う。しかし、隣に

「平均は50」

と書いてあったらどうだろう。それなら「平均より大きいな」と捉えることができる。逆に、もし「平均は200」と書いてあったら、「平均より小さいな」と捉えることができる。そんなふうに、ものごとは「他との対比」の中で理解を深められることがしばしばある


自分が「日本語」を理解しようと思ったとき、その大きな助けになったのは「英語」だった。

小学校までは知っている言語は(当然のことながら)日本語しかない。しかし、中学高校大学と英語の文法や文章を学ぶにつれて、かえって「日本語とはどういうものか」ということが理解できてきたと思う。日本語と英語の違いを知れば知るほど、日本語のカタチというものが見えてきたと思う。


長年勉強したわりには、あまり英語は自分のものになっていない。これまで英語を学んできた時間をほかのことに費やしたらまた違った人生があったのではないかとも思う。けれど、英語をこれだけやらなかったら、今ほどに日本語を理解することはできなかっただろうとも思うのだ。


逆に言えば、「英語を利用して日本語を知ろう」という無意識が強かったからこそ、その代償として、英語は上達しなかったのかも知れない、とも思うけれど。

「心の底から渇望し続けたものは」


心の底から渇望し続けたものは、いつかきっと手に入れられる。
僕はそう思う。

自分の場合はその1つが「文章力」だった。


12年前、Yさんという方と出会った。ものすごく文章力のある方だった。学生でありながら、ライターとして数千人に読まれる記事を書き、周囲から高い評価を得ていた。

自分には、それがうらやましくてうらやましくて仕方がなかった。自分は、当時から文章を書くことは好きだったが、謙遜ではなく「下手の横好き」の低レベルであり、自己満足&自己陶酔の範疇を明らかに脱してはいなかった。だから、彼女の文章を読んで「同じ人間でこれほど違うものなのか」と、ひどく衝撃を受け、落胆した。ときには、その才能の「格差」が悔しくて、泣いたこともあった。


彼女のような文章力がほしい。彼女に追いつきたい。それは「喉から手が出るほど」どころか「喉から血が出るほど」の渇望だった。

僕は、水の中でもがくように、そのための方法を考え、模索し続けた。文章関連の本を乱読・精読したし、文章のプロと呼ばれる人には教えを乞いに行ったし、もちろんアウトプットも量産し続けた。


今現在、まだ自分に文章力があるとは思わない。Yさんはまだまだ遥か先にいる(Yさんはその実力と実績が認められ、現在は新聞記者をして活躍している)。でも、気がついたら、文章を幾人かの方からお褒め頂いたり、原稿執筆の打診がきたりするレベルには達していた。かつての自己満足的な文章しか書けなかった自分、そして文章力がなくて悔し泣きしていた自分からしてみたら、信じられない進化だった。Yさんとは数年連絡を取っていないが、今なら、少しは胸を張って会える気がする。


今、これをお読みの方にも何らかの「渇望」されている方はいらっしゃると思う。文章力がなくて悔しい、読解力がなくて悔しい、ビジネスセンスがなくて悔しい。などなど。そうした思いを持つことは、きっと正しいと思う。心の底から本当にそれを身に着けたいと思っているのであれば、身体が勝手に動き出す。無意識のアンテナが、成長に必要なものを自然と引き寄せてくれる。もちろん努力も必要だが、大切なのは「渇望し続けること」だと思う。

「○○力がなくて悔しい」と思うことは、なんら恥ずべきことではない。強く念じ続けるのであれば、それは必ずその人の糧になると思う。

後輩への手紙:読みやすい文章とは?


最近、仕事の都合上、若手のメンバーと顔を合わせることが少なく、育成の機会がなかなか得られない。なので、彼らに知識・ノウハウを学んでもらうためのメールを、1日1通送ることにした。

内容はいろいろだが(もちろん、診断士で勉強した知識もあり)、今回はこんな内容を送った。「主語と述語の距離」。実は、敬愛するkurogenkoku兄がすでに同様のネタを書かれているが、自分もつねづね思っていたことだった。

ボクとkuro兄が言うんだから、相当重要なんですぜー(笑)。

◆ ◆ ◆

人の書いた文章を読みづらいと感じるとき、その原因として「主語と述語の距離」が考えられます。下記の文を読み比べてみてください。


A. X社の売上は、先日発生した不祥事事件の対応のまずさによるブランドイメージの低下が原因となって、大幅に低下している。

B. 先日発生した不祥事事件の対応のまずさによるブランドイメージの低下が原因となって、X社の売上は大幅に低下している。



たぶん、Bの方が読みやすいと思います。それは、文の骨格である「主語と述語」の距離が近いからです。

主語:「X社の売上は」
述語:「(大幅に)低下している」

この2つが、この文で骨格となる部分であり、「先日発生した〜」の部分はあくまで肉付けです。だから、

A.【主語】+【肉付け】+【述語】
B.【肉付け】+【主語】+【述語】

という構造では、Bの方が意味が伝わりやすいのです。
議事録などを書くときは、一文ごとに、「どこか骨格か」「どこが肉付けか」を意識するようにしてみてください。


【補足】
ちなみに、上記の文は2つに分けたほうがもっと読みやすくなりますね。
「X社の売上は大幅に低下した。理由は、先日発生した不祥事事件の対応がまずく、ブランドイメージが低下したためである。」
といったふうに。1センテンスあたりの文字数が多くなり過ぎないことにも、留意してください。



以上。
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